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三代目 鳥居 清忠(さんだいめ とりい きよただ、文化14年〈1817年〉 - 明治8年〈1875年〉6月15日)とは、江戸時代末期から明治時代初期にかけての浮世絵師。 == 来歴 == 二代目鳥居清満及び二代目鳥居清忠の門人。二代目清忠の子。本姓は長谷川。姓は山口、幼名は亀次といい、名は喜右衛門といった。三礼堂、昇竜軒と号す。三礼堂というのは江戸住吉町にて薬種商を営み、三齢湯という薬を売り出していたことによる。鳥居派宗家五代目の二代目清満の門人となり、三代目鳥居清忠を襲名した。後に父清忠にも絵を学んでいる。作画期は天保(1830年 - 1844年)から明治(1868年 - 1912年)初期で、鳥居派の芝居絵の他、若干の肉筆浮世絵を描いているが、それ以外は見るべきものは無かった。「文書く遊女図」は花魁が自分の持部屋で手紙をしたためており、傍らには振袖新造が到来物の菓子であろうか、木箱を前にして何れかを指差している場面を描いている。また、愛らしい禿は花魁にお茶を運んでくるところで、時間の空いた遊廓の何気ない一齣を捉えており、肉筆浮世絵には意外と少ない室内における花魁の平生の様子を描いたものとして、風俗的に貴重な作品である。また歌舞伎の文字勘亭流をも良くした。享年59。墓所は東京都台東区谷中の玉林寺。法名は山応奇水信士。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鳥居清忠 (3代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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